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中村輝夫 (軍人) : ミニ英和和英辞書
中村輝夫 (軍人)[なかむら てるお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 
軍人 : [ぐんじん]
 【名詞】 1. military personnel 2. soldier 
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

中村輝夫 (軍人) : ウィキペディア日本語版
中村輝夫 (軍人)[なかむら てるお]

中村 輝夫(なかむら てるお、1919年大正8年)10月8日 - 1979年民国68年)6月15日)とは台湾原住民アミ族出身の元高砂義勇隊員である。
中村輝夫には日本名、民族名、漢名の3つの名前があり、民族名はスニヨン()、漢名は李光輝()といった。
本項では他の日本統治時代生まれの台湾原住民の人物についても日本名を使用するが、初出の場合のみ()内に民族名と漢名を併記する。なお、戦後生まれの台湾原住民の人物については漢名を使用する。
== 生い立ち ==
中村輝夫(以下、「中村」と記す)は1919年大正8年)10月8日台東庁広郷都鑾区都鑾庄(現台東県成功鎮都歴)の農家に6人兄弟の末っ子として生まれる。
中村は公学校4年生まで成績はオール5であり、野球相撲が好きな少年であった。同級生の話によると、中村はアミ族には珍しく口下手で短気な性格であった〔『還ってきた台湾人日本兵』p93,p141〕。
1942年昭和17年)4月、台湾で陸軍特別志願兵制度が開始されると、中村は自分の親指を切って出た血で願書を書いて志願〔『還ってきた台湾人日本兵』p96〕した。翌1943年(昭和18年)10月15日に村を挙げての見送りの中、同郷の宮田武男(民族名:タケオ、漢名・)と共に出征し、新竹にある台湾歩兵第1連隊入営した。
なお、中村はこの時新婚であり、妻の正子(民族名:サンピ、漢名:)と1歳になったばかりの長男(民族名:ヒロシ、漢名:)を残しての出征であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中村輝夫 (軍人)」の詳細全文を読む




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